BLOG

ブログ

  1. TOP
  2. ブログ
  3. 稲田弘樹の軌跡
#社長のつぶやき

稲田弘樹の軌跡

こんにちわ!株式会社くれよん広報の朝妻です。

この度コーポレートサイトリニューアルに伴い、本日からBlogを書いていくことになりました。

第1回目のBlogは弊社の代表稲田に書いてもらうことにしました。

これまでの稲田の生い立ちから…くれよんへの想い…今後の姿まで…

赤裸々に書いていただこうと思っています。

普段言わない熱い想い…

くれよんの代表者のリアルな声を…

少しでも皆さんに届けることが出来たら嬉しいです。

是非最後までご覧ください!

はじめに
1.起業の原点
2.IT業界からの社会人スタート
3.起業スタート
4.電気工事との出会い
5.会社のターニングポイント
6.未来に向けての投資
7.俺の目指すもの

はじめに

こんにちは、株式会社くれよんの代表取締役の稲田弘樹です。今回、コーポレートサイトリニューアルに伴い、私の今までを全て暴露します。起業して11年目の節目に本気で取り組んでいこうと思っている「いい会社づくり」の取り組み。そして、ジェットコースターみたいな激しい会社経営の全てを話します。

これをキッカケに株式会社くれよんにも、稲田弘樹にもご興味を持っていただけると嬉しく思います。願わくば…皆さんの人生の中で私の経験が少しでもお役に立てればこれ以上嬉しい事はありません。では…長い文章になっておりますが、最後までお楽しみください。

1. 起業の原点

起業をしようと思って始めた訳ではないんです。

なぜしようかと思ったのは、さかのぼること高校生の時。もともとプロ野球選手を目指して頑張っていた。投手として高校野球を始めた時に大きな挫折をしました。大阪でも強豪校だったので、周りは上手な選手ばかり…その中で人一倍努力をした。ただどんなに頑張ってもいきなり球速が10kmも20kmも上がる事がない。10km走ったからと言って、球速が1kmあがる訳でもない。

とても厳しい練習を淡々とこなす日々で毎日が野球漬け。次第に野球をする楽しみを忘れて、高校野球生活の中で、350日は野球を辞めたい…と思う日々でした。野球では成功できないし、プロ野球選手になれる事もない。ただ、将来は自分でビジネスでは絶対に成功したい。そう強く思うようになり、厳しい練習に対しての捉え方が変化した。今思えば…この捉え方の原点を学べたのは高校野球をしたおかげやと。確信を持って言えるんですよね。

捉え方の変化とは「変わらない現実をいかに自分ごとに捉えて楽しめるか」という事。現実をしっかり捉えて決して腐らずに楽しめる方法を見つけないと高校野球を辞めていたと思います。ここが仕事をする上で重要な考え方で、高校生の段階で気づけたのはありがたいことですね。自責思考の考え方の原点を築けた瞬間でした。

そして、3年生の夏に甲子園出場にはならず…俺の高校野球人生は終わりました。

そこから自分の将来を考えるようになり、将来成功するために勉強に励みました。今まで野球漬けの毎日から解放され、自分の時間を野球以外で使う事がなかったので何をすればいいか…戸惑いながらも自分の事を考える日々が続きました。ビジネスでは努力した分が絶対に自分の力になる!今までの厳しい練習、辛い思い出は自分の心の支えになる!そう信じて、専門学校の進学を選びパソコンの技術を習得して将来はシステムエンジニアになる道を考えるようになりました。

専門学校は2年制で、20歳になった時に初めての就職活動も経験することになります。2社の最終面接まで進める事ができ順調に就活も終えるのであろう。と安心していたんですが…2社とも最終面接で「不合格」の通知を受け衝撃を受けました。なんで俺の人生はもう一つの所でつかみ取れないねん…俺の何が悪いねん…と思い、この時点で起業する事を決心しました。俺がいい会社を作って自分の可能性を絶対に諦めない。やればデキる事を証明してやる!と、強い気持ちになりました。

当時を振り返って思う事が、この時に最終面接で不合格を出してくれた会社に感謝しています。自分の過信や傲りもあったかと思います。起業しようと「ぼんやり」していたモノが確信に変えてくれた事に繋がっていたと思います。

2. 20歳社会人スタートはIT業界から

待ちに待った社会人スタート。野球で成功できなかった事やシステムエンジニアになるための就活にも敗れ…自分でいずれ起業してやる!と強い想いを持ってスタートしました。

社会人デビューの仕事は、まさかの「OA機器の営業」の仕事。しゃべる事が得意でもなく、感情の表現が下手くそで…営業マンとして何も得意な事がありませんでした。飛び込み営業なんて聞いたこともなく、いきなり○○会社と書いている所に突撃していく。初日の午前中だけ上司の飛び込み営業を見せてもらい、午後から自分1人で飛び込み営業したのは今でも鮮明に覚えています。

全く仕事に繋がるイメージができず…名刺を配る日々。何をどうすればいいのか…トライ&エラーの繰り返しの中で、初めての見積依頼がありました。パソコンの調子が悪いから見て欲しい。出張費の15000円の見積書を作りお客さんと初商談をするためにウキウキしながら訪問したら…「お金かかるならいらんわ」と言われて話も聞いてくれずに敗れた。俺のデビュー戦はあっけなく終了。でも、俺には将来起業したい!という夢がある。こんなところで終わる訳にはいかない。

「お金はいりません。だから、僕にパソコンが調子悪いのを直させて下さい」と伝えると「それならええよ」と答えてくれた。インターネットが繋がらないトラブルでお客さんとしては、インターネットにパソコンが繋がればそれでいいだけの事。専門学校も卒業して、それなりにパソコンの勉強もしてきたし、簡単に直るやろう。と思っていたのが全く原因がわからない。1時間経っても直らず…結局その場で直せなかった。

後日、調べてお客さんの所へ訪問した時には、もうええよ。と断られて見せてもらう事もできなかった。チャンスを活かせきれず何度も失敗してきたのを高校野球で学んだはずやのに、社会人になっても同じことを繰り返していたんですよね。

ビジネスでは、1回のチャンスをつかみ取れる者が生き残っていく。そこから、営業だけしていても認めてもらうためには能力も必要やと身に染みて感じた。朝9時から営業周りをして、18時頃に会社に戻り終電まで毎日勉強した。インターネットが繋がっている仕組み。メールがどうやって送受信できているかの仕組み。パソコンのトラブル事例をインターネットで検索して、上司を捕まえて質問攻めにしていた日もありました。

飛び込み営業でお客さんに商品を売るのではなく、パソコンのトラブルがあったら連絡下さい。僕が直しに来ます!という形でスタイルを変えると少しづつ話をいただける機会が増えた。パソコンのトラブルを対応していくたびに「コピー機の入替考えてるんやけど」とか「パソコンを新しくしようかと思ってるねん」という相談が増えた。上司が「営業マンは自分を売れ!」という言葉の意味を理解できた瞬間でもあったと思っています。それと同時に、お客さんによって自分が成長させてもらっているという感覚にもなりました。

世の中では「お客さん=仕事(お金)をくれる人」と言うのが一般的な考え方。しかし、俺が感じたのは「お客さん=成長の機会をくれる人」と思ったんです。営業の仕事をして、ここに気づけた事は大きな成長に繋がったと思っています。

今でもうちの社員からよく言われるんですが…社長はどんな仕事も断らないですよね。と言われる事が多いんですよね。その根源の理由は「成長の機会をくれる」という考え方が大きいんやと思います。いただける仕事は何が何でもやり切る。どんな仕事でもチャレンジする。そんな事を繰り返していくと勝手にお客さんとの信頼関係はできますよね。だから俺のお客さんは、めちゃくちゃ関係性の深い人が多いんやと思います。どこまでも追及する気持ちが自分への成長に繋がると思っているからです。

お客さんに自分も成長させてもらい、仕事をいただく中で自分も成長する事で「楽しい」という気持ちが芽生えてきました。次第にお客さんからの相談も増え、注文もいただく機会が増えていく中で自分の営業スタイルが確立していきました。モノを売る営業スタイルではなく、自分という人間を売るスタイル。ここまで行くのに大変苦労しましたが、今となっては飛び込み営業をして公園で悩んでいた事が無駄ではなかったんやと思えるようになりました。

そこから1年半のサラリーマン生活に終止符を打ち…いよいよ独立する事になりました。当時は22歳で、まだまだ社会勉強も足りない中で思い切ったと自分でも思います。自分の可能性を信じて頑張る覚悟でね。これから、お給料はもらえない。自分で稼ぎ、自分で仕事を作り、自分でチャレンジしていく。若さと行動力だけしかない当時の自分に、お客さんがついてきてくれた事は本当に感謝すべき事ですよね。

さぁ、始まりました。起業一年目の売上は、950万!!22歳の若造にこんなにお仕事を頂けて感謝しかないですよね。激安の軽自動車と、間借りした事務所で何とか生計を立てながら1年が過ぎました。起業準備で手伝ってくれた、親、おばあちゃんにも感謝しいよいよ2年目に突入!!2年目の売上は、1700万!営業成績もよく、自分で稼ぎ、自分で仕事をして…毎月100万くらいは稼いでいました。当時23歳で仕事も順調で、調子乗っていたかも知れませんね(笑)

ただ、順調に進んでいたのもつかの間…3年目で売上も底をつき、とうとう1か月の売上が67000円という月も出てしまい、焦る毎日でした。何とかしなくては…そんなことばかり考える日々で、仕事を取れる訳もなく、日にちだけが過ぎていく。どうしよう…どうしよう…と考えてる中で、ある日とある会社の社長からお声がかかる。

4. 電気工事との出会い

「いなっち、仕事手伝ってや!」と言われた会社こそ、電気工事をしている会社の社長さん。サラリーマン時代から、私が防犯カメラの仕事を受注すると工事を依頼していた会社でした。電気工事どころか、現場仕事も全くしたことが無いけど手伝って欲しいと言ってくれました。当時は、売上もなく…仕事もない状態。断る理由もなく「手伝います!」と即答で答えたのが電気工事をするキッカケでした。

と言っても、初めから工事をしていた訳ではなくお手伝いって感じでしたけどね。基本的に夜勤の現場だったので、僕も都合がよく、日中にはOA機器の営業をして、夜は現場で働く。そんな毎日を過ごす中で、次第に売上も回復していきました。結局、3年目終了時には2600万もの売上になっていて前年を超える数字で終える事ができました。

電気工事の仕事をお手伝いする中で、ある感情が芽生えてきました。

「この仕事は面白い!」と思うようになり、建設業界という全く未知な世界に飛び込むことになります。自分の人生、何が起こるかわからない。出会いの大切さが身に染みて感じるようになり、言われた仕事を断らない。究極のYESマンが出来上がっていきます。

あの当時みたいに売上がない時の恐怖…先の見えない日々より、はるかに仕事がある方が気が楽でした。OA機器でも飛び込み営業をしていたのに…次は建設業界に飛び込みかよ!と自分で思いながら、電気工事の魅力にはまっていきます。

魅力に感じた理由として大きく2つあります。

  1. 圧倒的に仕事量がある。
  2. 営業をしなくてもしっかり納めたら次に繋がる。

この2点は、電気工事業界に飛び込んでいく大きな理由になりました。営業とは全然違う仕事の取り方。しっかり納めたら次に繋がる仕事の数々。営業の不安定な部分を取り除いて考える事ができるので、従業員を雇い入れる事ができると考えました。

そこから、友達、知り合い、すべての人に声をかけていき、3名の人を雇い入れながら仕事を進めていく事になります。試行錯誤しながら、現場の仕事もしながら、OA機器の営業もする日々。このままではアカン。1年間、電気工事の仕事をしてみてよかったら、本気でこの業界に乗り込みにいくか!と当時の仲間と話していました。

何もできないど素人から始めた電気工事の仕事が意外と順調に進んでいく事になるとはこの時は思っていませんでした。しかし、4年目の売上はまさかの5200万!当時はまだ確定申告でしていた個人事業主なので、俺の誕生日である5月に法人にする事を決意しました。

個人時代は950万→1700万→2600万→5200万と数字が確実に上がっていきました。電気工事の仕事も悪くない!仕事も順調になってきた!ヨシ!本気で電気工事業界に飛び込むぞ!その想いで2016年5月に法人設立をすることになりました。

個人時代の屋号は「システム工房CRAYON」でした。そこから…5年の月日を経て法人設立「株式会社くれよん」が誕生しました。未経験の業界での1年目は1.2億の売上。ギリギリ黒字にもなり、ここから俺の電気工事士としての人生が始まるんや…と思っていました。

とにかく目の前の仕事を、毎日毎日一生懸命する日々でした。ただ、うちの社員を含め全員が素人でもあるので、課題が山積みでしたが仕事が楽しかったのを覚えています。毎日が勉強で、毎日が新しい工事で、色んな職人さんに仕事を教えてもらいました。

そして、2期目へ突入。そこで大きな課題に直面することになります。素人で始めた電気工事の仕事。やはり、そんなに甘くありませんでした。知らないとナメられる。若いと適当に扱われる。無知がゆえに…究極のYESマンが仇となった時でした。

請負工事をしてもことごとく赤字。工事のボリュームがわからないから、お客さんの言い値で何もかもを請け負っていました。売上が無い訳ではないですが、売上よりも支払が多くなる現場ばかり…仕事をしても、仕事をしても赤字の連続。結果的に、2期目の売上は1.7億に対して1700万もの赤字になりました。借入をしていた1200万が全部なくなり、本気で電気工事の仕事を辞めようかと考える日々でした。

負のスパイラルにハマり…大変な2期目でしたね。

言い値で請け負う→赤字になる→取り返すためにまた請け負う→赤字になる

そんなスパイラルから脱出するために、新しい取引先とも仕事するようになり、ここのお客さんとの出会いが俺の電気工事士としての人生を変えるターニングポイントになります。

5. 会社のターニングポイント

正直、今までは言われた仕事をただこなすだけで、本気でしていなかったんだと思います。新しい取引先との出会いが電気工事の仕事観を大きく変えてくれます。

圧倒的な電気の知識量。とてつもない経験値。業歴も30年近い社長さん。電気工事に対してのイロハから、経営者としてのイロハから、色々な事を教えてくれました。ココを逃したらアカン。俺から猛烈に社長さんの所に足を運び、仕事を通して様々な事を教えてくれました。そこで一番思い入れのある教訓が2つあります。

社長さんからの教訓

  1. 社長である限り一番知識を習得しなさい
  2. 施工管理としての視野も持ちなさい。

この2つを実務で体験させていただきました。施工管理の仕事もしたことがありませんでしたが、2現場経験させてもらい、計3年近く管理の仕事に従事します。電気工事と言えど…職人の世界。やはり技術がモノを言う世界なんですよね。仕事ができる人が影響力を持つ世界なんですよね。

当時の自分は、言っても雰囲気だけで仕事していたんやと…社長さんの数々の経験談を聞いた中で心底思いました。まだまだ触りだけしか経験していないのに何を一人前の気分になってんねん!その言葉が身に染みましたね…自分の人生をかけても人生で、電気工事の全てを知る事ができないくらい、この仕事は種類もジャンルも様々です。

そこを少しでも多くの知識量、経験値を得るためには施工管理として仕事する事が何より時短になりました。職人で3年過ごすよりも、管理者として3年過ごす方が、圧倒的に濃度が違います。そのくらい施工管理という仕事は、奥が深く…簡単な仕事ではありません。

会社のターニングポイントでもある「施工管理」という仕事を知る経験は、会社にとっても、自分にとっても大きな成長をさせてくれました。めちゃくちゃ辛かった記憶しかないですが、やってきた事が確実に自分の力になっています。それが会社の考え方に繋がり、成長するための起爆剤になったと感じています。

施工管理として仕事を経験する中で、自分の電気工事に対しての仕事観が大きく変わったとお伝えしましたが、すべてに対しての仕事観が変わりました。今までどちらかと言うと大雑把な性格で、ノリと勢いだけで仕事してきました。現場仕事をする上で、自分の経験から必要な要素が3つあります。

  1. 心配性・・・自分の仕事が正確にできているか確認する
  2. 細かい性格・・・正確に確実に仕事をするため
  3. 腹黒さ・・・任せきりにならず相手の仕事をいい意味で疑う

この3つの要素は欠かせません。現場仕事は、一つ間違えば事故やケガ…最悪の時は死に至るくらい大きな災害を招く事もあります。施工したものが壊れたり、電気が漏電したりしていては危なくていれたもんじゃないですよね。なので、俺らの仕事にミスは絶対に許されない仕事です。失敗した…も絶対に許される仕事ではありません。そのくらい強い想いと、確実で安全な仕事をしなくていけません。

現場に対しての安全性をしっかり築き上げ、職人が日々仕事しやすい環境を作り、生産性の向上に勤める施工管理の仕事。現場の内容によってもやり方も違えば、建物によっても全く内容が変わってきます。事前準備を徹底し、計画を立てて、想像できるあらゆる事に根拠を持って潰していく。こんな環境で3年も仕事していると仕事観が変わっても無理ないですよね(笑)

そんな貴重な経験もさせてもらい、本当にこの社長さんと出会えた事が会社のターニングポイントと感じています。法人3期目に社長さんと出会い、売上も大台の2億を突破。4期目も2.8億程の売上をいただき、5期目も2.8億程の売上を上げることができました。この間、俺は施工管理として現場に出続けて、確実に知識と経験値を積み重ねていく期間になります。

6.未来に向けての投資

施工管理の仕事もひと段落したある日…ふと思う事があったんです。会社とはなんや?従業員は何のために仕事してるんや?そんな事を考えるようになりました。

今までジェットコースターみたいに、上がり下がりを繰り返し、目の前の事をとにかく一生懸命こなしてきました。自分で1人で突っ走り、会社にもして、売上も順調に伸ばしてきて、順風満帆と思っていたんですよね。社員も順調に増えて、この当時では職人は9名になり色々な仕事ができている実感もありました。協力業者も増えて、35名くらいの規模間で様々な現場でみんなが仕事をしてくれていました。

ね?こんな感じで売上も伸び、従業員も増え、協力業者も増え、めちゃくちゃ順調にしか見えないじゃないですか!しかし、俺はとてつもなく恐怖したのを覚えています。

自分が課題と思うものを一人で突っ走り、一人で経験値を積み、売上を伸ばすことを考えしていて、走り続けました。そして、後ろを振り返ってみた時に…何もなかったんです。すごい感覚的な話になりますが、自分の後ろに誰もいなかったんです。あれ?!なんでや…こんなに順調に進んでいたのに、ものすごく寂しさと恐怖を覚えた瞬間でした。

社長と従業員の間に、ものすごく考え方にズレがあり、想いの乖離が激しかったです。俺が社員に対して、色々話すことも何を言ってるかわかってもらえない時も多々ありました。そして、何より社長が何を考えているかわからない…そんな声を耳にする事があり、すごく寂しかったのを覚えています。

でも、今思えば当たり前ですよね。施工管理の仕事をしている期間はほどんど社員との接点はありませんでした。それ以上に、会社の事を考える時間よりも、圧倒的に施工管理に費やす時間の方が多かったし、社外にばかり矢印を向けて社内を見ていませんでした。

考える事と言えば「売上」、「仕事」、「利益」、「会社」そんな事ばかり…社員の事を考えていない訳ではないんですよ。ただ、伝える機会がないので伝わる訳ないですよね。同じ思考になってくれる訳ないですよね。なんでそこに気づけていなかったのか…自分で招いた事に対して深く反省しました。

会社の事、社員の事を一番考えているからこそ、売上や利益の事をばかり考えていたのに…伝えていない自分の気持ちを理解してくれ!と言っても、理解されないのは当たり前ですよね。

そこから、考えを改めて…「組織づくり」という事を真剣に考えるようになりました。よく考えてみたら、今まで会社としての経営理念もなかったんですよね。そんな会社で…そんな社長で…でも付いてきてくれる社員に対して申し訳なく思う気持ちになりました。だからこそ、本気でいい会社を作ろう!いい組織にしよう!と思うようになりました。

そして、ここにもう一つ大きな課題があります。これは建設業界の課題でもあると思うのですが、自分の会社に対して、自分の仕事に対して誇りを持って働いている人が少ない気がします。あくまでも私の感覚的なモノですが、仕事をしていてイキイキ働いている人が少ない実感もありました。

毎日毎日、暑い日も…寒い日も…頑張って働いてくれるうちの社員。楽しい会社、オモシロい仲間、ワクワクする毎日。そんな気持ちを一緒に共有したいと思うようになりました。そのために俺ができることは何か…試行錯誤の毎日。どうすべきなのかわからないまま、色々な人に話を聞き、色々な知識をもらい、時には社員に対しても何が課題と感じているかも聞きながら過ごす日々でした。

今までの自分のしてきた事を改め、組織づくりを真剣に考える中で、とある会社と出会います。オモシロい会社をお手伝いする会社。その組織観が俺の目指したいモノとピタッと一致しました。みんなが同じ方向を向いて、仕事に打ち込み、会社に対して愛を感じるような数々の言葉。もう、ここしかない!と思う気持ちで組織づくりのお手伝いを依頼する事になりました。

一世一代の大勝負。社運を賭けたプロジェクトを進めると共に、今まで自分がないがしろにしていた社員に対しての気持ちと時間を本気で向き合う事を決心しました。そこから、会社に対しての、社員に対しての投資がスタートします。正解のない大きなプロジェクト。どんな結果になるかわからないですが、確実に前を向いて走っている実感がありました。

でもね…ここでも実際に社員とのズレは確実におきていたんですよね。

自分の考えで動いてきてばかりだったので、意見を聞く事をしていなかったんですよね。正直、このプロジェクトにも賛成をしてくれる社員や協力業者は、あまりいてなかったと思います。でも、それ以上に、いい組織を作りたい!想いが強すぎて、わがままかも知れないけど、付き合ってくれ!と社員にお願いしました。

そこに付いてきてもらえなかった社員も実際にいます。でも残ってくれた社員と本気で向き合い、絶対にいい会社にしたる!と強い想いを持って、現在も挑戦し続けています。

7. 俺の目指すもの

これから会社の組織づくりを真剣に考える中で、俺が本気で目指したいモノを具体的になってきました。いい会社と言っても何がいい会社なのか?強い組織と言っても何が強いのか?そこで初めて挑戦したのが「Twitter」なんですよ。

SNSを始めて経験する中で、色々な人との出会いもありました。今まで色々なSNSをしてきましたが、全然続かず…結局3日坊主で終わることが大半でした。しかし、Twitterはもう1年以上続いています。

その大きな理由が「言語化」ですね。自分の考えている事を、言語化する事。想っている気持ちを、言語化する事。やりたい事を、言語化する事。そうやって誰にでも伝わるカタチにしていく事で、想いを伝わる作業が増えていきました。

いい会社にするための取り組みとして「VisionMap」の作成に取り掛かりました。

VisionMapとは?

Mission:存在意義  Vision:目指すべき将来像  Value:守りべき価値観

この3点の会社の方向性を定めるために、みんなで意見を出し合って考える日々が増えました。これね…結構大変でした。想いをすり合わせるって並大抵の事やないんです。月2回くらいのペースで進めてきましたけど、全然進みません。

1回のミーティングは約2時間くらいで、色々な言語化に挑戦していきます。会社とは何か?社員とは何か?お客さんとは何か?まぁ、こんな話を永遠にしていくんですけどね。気の遠くなるような作業ばかりですね。

でもね、やりながら感じたんです。出てくる言葉が素晴らしいモノでなくてもいい。上手にするとか、カッコよくするとか、そんな事は全くいらないんです。何が一番大切かというと社内で「共通言語」を作る事なんですよね。例えば、弊社のVisionに「色めく」という言葉を定義しました。

くれよんの「色めく」とは?

色鮮やかに互いの個性(色)が混ざり合い、関わらるすべての人から憧れられている状態。

この言葉を社内で飛び交うようになれば正解なんですよね。周りから見られて意味が分からなくても、社内でしっかり言葉の意味を理解して、共通言語として会話に出てくるようにすればいい。その一言、一言を認識し合う事がVisionMapの最大の目的やと感じました。だから、時間がかかるんですよね。

約10ヶ月におよぶVisionMap制作も終わり、現在の弊社の経営理念がココに誕生しました。

そして、俺が電気工事業界の仕事をしてきて、まだまだ未熟ではあるんですが目指していきたい事が3つあります。

  1. 生活に光を
  2. 職人の心に灯を
  3. 業界の未来に輝きを

「生活に光を」は、俺らのまさに仕事の集大成。カタチにしていくという事ですよね。安心安全に電気を使ってもらうために日々、必死で働いています。そして、電気工事士という仕事は圧倒的に認知不足です。うちの社員が毎日頑張って働いてる姿を見たら、感動しますよ!めちゃくちゃカッコいいですよ!

世の中の人に少しでも電気工事士の仕事の魅力を伝えたいと思っています。人々のインフラを守り、安定した生活を送るために俺らの仕事が皆さんの日常を豊かにしている。そんな想いを欠かさず持ち続けたいと思っています。

「職人の心に灯を」は、職人としてのプライドです。株式会社くれよんで働ける誇りを持ってほしい。そのためには、いい会社である必要があります。うちの会社が大阪で一番!いや、日本で一番!と思ってもらえるような会社にしていき、職人の心に燃えさかる炎を与えれるような会社で在りたいと思っています。

うちの会社で大切にしたいのは職人である前に一人の「ひと」としての人間力です。技術だけいくら磨き上げてもアカン。技術を活かすも殺すも…その人の人間力だと考えています。

誰からも愛されるような人、頼りにされるような人、行動力があり挑戦し続けられる人。あらゆる分野で「ひと」として一目置かれるような存在で在ってほしいという想いを社員全員で共有する。その先に、一人ひとりの心に灯が宿っていくと感じています。

「業界の未来に輝きを」は、単純に言うとこの仕事をしたい!と思う人を増やしたいです。うちの社員が輝いてる姿を見てもらい、電気工事士の仕事に対して憧れを持ってほしい。そんな願いがあります。

3Kと言われる職種でもあり、決して人気ある仕事ではないと思います。でも、無くてならない仕事であるに違いないです。電気工事士の仕事を通じて、人として成長し、自分らの仕事に誇りを持ち続けていければ…いずれ輝く未来が来ると思っています。

以上の3つが俺の目指すものです。

まだまだ課題は山積みですが、うちの会社とうちの社員で一つずつ実現してみせます!何が何でもやり切る気持ちで、俺が先頭に立って挑戦し続けます。絶対に諦めない気持ちを強く持ち、株式会社くれよんが世の中で憧れの存在になるために…今日も明日も明後日も…現場で働き続けていきます。

いかがでしたでしょうか?

弊社稲田の想いは皆さんの心に届きましたでしょうか?

くれよんはまだまだ始まったばかりの会社です。

枠組みだってまだまだ無いような小さな会社です。

だからこそ、私たちは一人一人この稲田の想いを胸に必死に日々過ごしています。

くれよんの従業員全員が「色めく」ために…私たちはこれからも全力で頑張っていきます!

これからも株式会社くれよん一同よろしくお願いいたします。

この人についての記事です

稲田弘樹
  • 特殊能力:激熱なにわ人情
略歴

創業2年目で1700万の大赤字/そこから本気で勉強してV字回復/生粋のなにわ魂/仲間に全力/心が折れそうな社員の家に1週間毎日缶コーヒーを届けにいくくらいに全力/酒の長さは人生の深さ/仲間となら無限に呑める/2人息子が好きすぎるなにわの電気屋社長

電気のことでお困りの際は
気軽にご相談ください

電気工事のご依頼・ご相談はこちら

0721-23-5658

受付時間平日9:00 - 17:00